ご支援を賜りました皆様には、心から御礼申し上げます。 無事プロジェクトの目標を達成することができました。 皆さまのメッセージで心強い気持ちになれました。 今後は更に文化として広めていけますよう努めたいと考えております。 プロジェクトの進捗ご報告については改めてご連絡させていただきます。
今回のプロジェクトで販売させていただきました「這子」ですが、 「販売」もしておりますので、下記フォームよりご連絡ください。
お子様がお生まれになられたご家族の皆さまは「健やかな成長」や「素晴らしい人生を歩んでほしい」という想いや願いとともに、我が子を「慈しむ」心を多く持たれています。 私共は、そのような皆さまの「オモイ」を、雛人形という「カタチ」で表現しお届けしております。
その「お雛さん」のルーツを探っていくと「這子(ほうこ)」に行き当たります。
平安時代の「源氏物語」の第19帖「薄雲」の中に「這子」と対に見られている「天児(あまがつ)」が見られます。 「天児」とは、木でできたT字の体と丸い頭に着物を着せた人形です。 その意味や使われ方は、後述しております這子と同じでありました。
このことからも、おそらくこの時代には既に「這子」も存在していたと思います。 また出産準備の必要な道具や調度品を記した文献には
「あまがつ一ツ、ほふこ(=這子)の事なり、大さ二ツ三ツの子ほどにあるべし」
とあるように相当大きな人形も用意されていたことが伺えます。
古事類苑 礼式部
当時の文献を再現して制作した這子 iPhone 12とのサイズ比較
その昔、医療がまだ発達していなかった時代、生まれる前に命を落としたり、生まれてからも無事に成長することなく亡くなってしまう子どもが多くいました。
遠く縄文時代には、すでに安産や子孫繁栄の祈りを込めた人形の「土偶」が数多く作られていることから、母子共に無事な出産や子どもの健やかな成長は、時代に関係なく家族の切実な願いだったのです。
そのような中で生まれたのが『這子』であります。 「這子」は、安産と健育、母と子の両方を思う気持ちから生まれた人形でした。
めでたく懐妊した女性に「這子」を贈り、生まれるまで枕元に置かれていました。 子どもが生まれた後には赤ちゃんを見守る人形として傍に置かれました。
現代においてもまた、出産は女性の心と身体にとって非常に大きな出来事です。
「赤ちゃんが、もうすぐ生まれる」
という大きな喜びと共に様々な不安が押し寄せてきます。
出産に「不安が少しもない」という女性は一人もおられないのではないでしょうか?
赤ちゃんは無事に生まれてくるだろうか… 私は、親としてちゃんとやっていけるのかな… いろんな情報があるけれど、何を信じればいいのか… 何に気を付けたら、我が子を守れるのだろう… 新型コロナウイルス感染症の影響により、出産への立ち合いやお見舞いなどが制限されています。
支えてくれる存在を感じられず不安な気持ちで迎える出産。 そして赤ちゃんの誕生後も人との交流がままならず独りで過ごす時間が長いお母さんとご家族の皆さまのために「何かお役に立てることはないか?」と感じておりました。
私どもがお作りする「お雛様」はお子さまが生まれられてからご用意されるのが普通です。
それは「我が子、我が孫が無事に成長してほしい」という想いを形にしたものであります。
しかし「這子」にはお雛様と同じく我が子の健やかな成長を願うことに加え、 その出産という大事に臨む我が妻へ夫が贈るエールや父母が我が娘への寄り添いの気持ち、母と子両方の無事を願う「安産」の思いも込められていました。
そんな「這子」はまさに今必要な「カタチ」ではないかと確信しました。
そんなご家族の「想い」を「カタチ」にする「這子」を
「平安時代と同じ姿のまま世に送り出して受け入れてもらえるのだろうか?」
「安産と健育を願う他のカタチはないだろうか?」
そして何より「皆様に知って広くいただく何か方法はないだろうか?」と思案する中、様々なコラボレーションが生まれました。
コラボ第一弾として安産・健育の神様「六孫王神社」とのご縁をいただきました。 神社もまた、参拝という「カタチ」に「ココロ」をこめる場であることから、お声掛けをしたところ、
「未来を担う子どもたちが無事生まれ、健やかに過ごしてほしい」
との趣旨に賛同いただきました。
母となる人の支えとなり、生まれてきた子の健やかな成長を願う 「オモイ」や「気持ち」を「カタチ」にして届けられる人形 =『這子』を新たな形で復活させる
六孫王神社からは、安産・健育の「御祈祷」をいただけることになりました。
こうして六孫王神社とともに、「這子」を「安産・健育を願う人形」として復活させるためのプロジェクトがスタートしました。
私たちのオモイをカタチにするために現代に添ったカタチ、アレンジしたスタイル、そして平安時代の宮中文化を手で触れてもらえるようなアイデアと発信方法を探していたところ京都信用保証協会のご協力を得て、様々な支援を頂きました。
その中の一つが「産学連携」です。 ここに京都産業大学経営学部・中井ゼミの皆様という心強いメンバーも加わり、コラボレーションの第二弾が実現しました。
若い世代のアイデアを沢山頂戴し私たちのオモイをカタチにしていきました。
またこの「京の這子さん」に使用する素材は、京都・室町の白生地問屋「伊と幸」に依頼し織って頂きました。
その絹織物をお雛さんの衣装にも良く使う平安時代の「襲の色目(かさねのいろめ)」の中から四季を表した色目にて製作します。
京都・室町の白生地問屋「伊と幸」「襲の色目(かさねのいろめ)」
ここに一つのチームとして、この「這子」を現代に復活させ、生まれくるお子さまとご家族の慶びを表す新しいカタチとし、また京都の新たな文化資源の創出を目指したいと考えております。
這子は白絹(羽二重や一越ちりめんなど)の四隅を縫い合わせて手足を作り、綿を詰めて頭を差し込んだ布製の人形です。 うつぶせにすると乳幼児が這い這いする姿に似ていることからこの名前がつきました。
平安朝以来、上流階級では「上巳の祓」に贈られた人形で乳幼児の守りとしてこれを枕元に飾り、祓いの後の神聖なものとして翌年にも用いられるようになり、幼子が3歳になるまで身に添えて持たせるなど病気や災厄が大切なわが子にとりつかないよう祓いの形代(かたしろ)としました。 感触が柔らかいため、次第に手遊び人形として子どもたちに親しまれるようになります。
いわゆる「縫いぐるみ」の元祖です。
やがて民間にも復旧し、飛騨高山の猿ぼぼや、庚申信仰と結びついて生まれた手足を括った姿の「括り猿」にその名残をみる程度となっております。
現代も身近に置いて愛情を注ぐ縫いぐるみのルーツが、日本では自分の災厄を祓い、身を守ってくれる形代でありました。 この人形も江戸時代の中頃にはその役割が「雛人形」に替わることとなり次第に消えていきました。
現在では飛騨高山の「猿ぼぼ」や祇園の「くくり猿」にその名残を見る程度となっています。
「這子」を現代に復活させるために何かしたいと考え始めたものの、より多くの方々に受け入れてもらうにはどうすればいいのか、具体的な方法がなかなか思い浮かびませんでした。
そこで、自分とは全く違う視点や切り口が欲しいと考え、京都産業大学経営学部・中井ゼミの皆様にご協力いただくことになりました。
中井ゼミの研究テーマは「新しいビジネスの創造」を掲げておられ、 ゼミでの学びを通じて習得を目指すのは、「新しいビジネスを創り出す力」です。 この目標達成のために既存のビジネスモデルを徹底的に研究したり、 今回のプロジェクトのように産業界とコラボレーションをすることで実践力の向上に努めておられます。
そんなゼミ生の皆様に向け、準備してきた『「這子」復活文化創造プロジェクト』についてのプレゼンテーションを行ったところ、這子の認知度アップに向けて、さまざまな角度から価値創造のアイデアを出していただきました。
活発な意見が交わされる中、学生の皆様の柔軟かつ斬新な発想から前掛けを使って産前産後を使い分けをするといったアイデアなどを基に、本プロジェクトの返礼品を決定することができました。
京都産業大学 経営学部 中井ゼミの皆様
「六孫王」とは、承平・天慶の乱の追討使であり後に鎮守府将軍に任ぜられた清和天皇の六男の孫にあたる源経基を指します。
この経基がさきの将軍に任ぜられたことがきっかけとして以降、将軍職は「清和源氏」を祖とする武士のみ任ぜられることになりました。
「子孫繁栄のためにこの地へ葬れ」と託した基経が埋葬され、その前に社殿を築いたのが「六孫王神社」の始まりです。
〒601-8471 京都府京都市南区壬生通八条角 六孫王神社WEBサイト
境内にはソメイヨシノや山桜などの桜も植えられており、見頃の時期には神社への参拝とあわせて風情ある景色を楽しめる。
長男を授かったことを知った基経は、境内の中央に位置する「神龍池」のほとりに琵琶湖竹生島より弘法大師作と言われる「弁財天」を勧進し、「誕生水弁天社」を作ります。 誕生水弁財天社 その涌き水は今日の名水の一つに数えられ、安産祈願と出産後の「産湯」に使われたことから安産と健育がご利益の神社として親しまれています。 写真はイメージです