今から百年余り遡る天保の頃、御所の宮仕人として仕えた大久保家が平安寿峰の祖となります。 昭和三十年、大久保家は京都島原の地で京人形作りを始めました。 親から子へ、子から孫へと三代に渡る人形司の系譜がここから始まります。 そして昭和四十七年、次男である大久保 暁は独立し、それまでの人形にはない独自の感性と素材、技をもって、雛人形の制作活動を始めました。 それは「日本人の感性の豊かさを物語る人形」、そして「平安時代より続く宮中文化を表現する人形」を活動の原点としています。 制作活動の地、嵯峨野より拝領し、屋号を「沙雅の人形」と称し、号を「平安 寿峰」としました。 「寿峰」の名は嵯峨野の奥に構える愛宕山の景色をとらえてつけられています。 初代 寿峰が雛人形作りをはじめて四十年余り。 原点のもの作りを今も続け、皇室や伊勢神宮、出雲大社をはじめ多くの皆様のもとへ 平安寿峰の名にいつわりなくお届けし、これからもより善き人形を、そして日本文化をお届けしていくのが使命と日々研鑽続けて参ります。